はじめに
移乗介助は、介護の現場でもっとも腰を痛めやすい場面のひとつです。
訪問介護・施設介護・病院など、どの現場でも「移乗で腰を痛めた」という声は非常に多く、実際に腰痛による離職原因の上位にも挙げられています。
特に次のような状況は、腰への負担を一気に高めます。
- 深く座った状態のまま引き上げてしまう
- 介助者が腕や腰の力で持ち上げようとする
- ご利用者様の姿勢が整わないまま動かしてしまう
といった状況がよく見られ、こうした“ちょっとした誤り”が腰の負担を一気に増やします。
しかし、移乗介助は本来「力で行う作業」ではありません。
もちろん全く力を使わないとは言いませんが、体の仕組みに合った動かし方を理解し、基本原則に沿って動作を組み立てれば、体重の重い方でも最小限の力で安全に動いていただくことができます。
介助は筋力ではなく、姿勢・重心・力の方向でほぼ決まります。
ここを押さえていないと、どれだけ力があってもうまくいかず、逆に原則を理解すれば細身のスタッフでも驚くほどスムーズに介助できるようになります。
この記事では、理学療法士の視点から
- 力を使わない移乗介助の考え方
- 現場で必ず役立つ「3つの基本原則」
- 安全性が高まる準備と体の使い方
- 今日から使える実践テクニック
を、わかりやすく整理してお伝えします。
なぜ移乗介助は“力任せ”になってしまうのか?
そもそも、なぜ移乗介助は難しく、介助者の身体への負担が大きくなりやすいのでしょうか。
現場で多くの介助を見てきた経験から言うと、その理由は次の4つに集約されます。
① ご利用者様の「重心」が後ろにあるから
深く座っている、背中が丸くなっている、足が床につかない——
こうした姿勢が続くと、ご利用者様の重心は必ず“後ろ”に下がります。
重心が後ろのままでは、どれだけ力を入れても立ち上がることはできません。
むしろ、立ち上がろうとすると上体がさらに後ろに倒れ、余計に動きづらくなってしまいます。
その結果、
- 介助者が手や腕で強く引き上げる
- 腰を丸めて持ち上げてしまう
- ご利用者様の体重がすべて介助者にのしかかる
という状況が生まれ、負担が一気に増えてしまいます。

② 「姿勢の準備」をせずに介助を始めてしまうから
移乗のほとんどは、介助前の準備で決まります。
姿勢・重心・足の位置を整えるだけで、ご利用者様は驚くほど動きやすくなります。
逆に準備が不十分だと、どれだけ頑張っても動きません。
- お尻が奥に入りすぎている
- 足が前に出たまま
- 身体が斜めを向いている
- 背・頭が支えられていない
こうした状態のまま立たせようとしても、成功率は大幅に下がります。
現場でよく見られる“移乗の失敗”の多くは、実は移乗そのものの問題ではなく、動作前の姿勢づくりができていないことが原因です。
③ 介助者が「持ち上げるもの」だと思い込んでいるから
移乗は筋力ではなく、体の構造に沿って重心を動かす作業です。
しかし、現場では昔ながらの「持ち上げる介助」が根強く残っており、経験的・感覚的に“持ち上げる介助”が当たり前だと思われがちです。
そのため、
- 力で解決しようとする
- 大きく動かそうとする
- 身体を支えるより“運ぶ”イメージになる
という誤解が生まれ、結果として力任せになってしまいます。
実際には、ご利用者様の身体は「持ち上げる」必要はなく、
- お尻を少し前に出す
- 上体を少し前傾にする
- 力の方向を合わせる
これだけで、ほとんどの方は介助が楽になり、自然と身体が浮きます。
④ 動作の“順番”が間違っているから
移乗介助には、体が自然に動きやすい“正しい順番”があります。
- 姿勢を整える
- 重心を前に作る
- 支えながら立つ
- 座面へ安全に誘導する
この順番を守ることで、介助は最小限の力でスムーズに進みます。
ところが、順番が逆になってしまうことがよくあります。
- 姿勢を整える前に立たせようとする
- 重心が後ろのまま引き上げる
- 支える位置がズレて後方へ倒れそうになる
この状態は、介助者もご利用者様も非常に危険です。
力を使わない移乗介助の基本『3つの原則』
移乗介助は、次の3つの原則で決まります。
① 重心の準備(姿勢づくり)
この「準備」ができていないと、移乗は必ず難しくなります。
姿勢づくりのポイント
- お尻を前に出す(浅く座らせる)
深く座っていると、重心が後ろにあるため立ち上がれません。
膝を曲げることも難しくなり、立ち上がりが難しくなります。 - 足が床につく状態をつくる
足が浮いていると、支点がなく立ち上がりの際に不安定になります。 - 骨盤が後ろに倒れすぎないよう調整
骨盤が後傾していると、前傾が難しくなります。
骨盤をできる範囲で立てるように座り直してから、前傾(お辞儀)をしていただきます。
➡︎体幹の前傾がしやすい位置に整える
結局のところ、上記を整えるを体幹が前傾しやすくなります。前傾することで、支持基底面に重心が乗り、介助量は軽減します。
姿勢づくりだけで負担が激減
実際、深く座っているご利用者様のお尻を2〜3cm前に出すだけで介助負担は大きく減少します。
「立ち上がれない人」ではなく「立ち上がれない姿勢」になっているだけのケースが非常に多いのです。

② 重心移動(持ち上げずに動かす)
立ち上がりとは「体を持ち上げる動作」ではなく
重心を前方へスライドさせる動作です。
重心移動のコツ
- 上半身を前に倒す(前傾)
前傾が不十分だと、どれだけ力を入れても立ち上がれません。 - 介助者とご利用者様の“動作のタイミングを合わせる”
声掛けは必須。「せーの」や「1、2、3」などの合図で前傾をつくります。 - 膝ロックで膝折れを防ぐ
膝が折れると重心が前に行かず、立てない原因になります。 - ご利用者様自身の筋力を最大限に使える姿勢へ誘導する
わずかな力でも、方向が合えば介助量は軽減します。
膝ロックに関してはこちらの記事で詳しく説明していますので、こちらの記事も参考にしてみてください。
③ てこの原理(最少の力で最大の動き)
介助とは「持ち上げる」のではなく「てこを使う」ことがポイントです。
てこを使うポイント
- 介助者の身体を軸にする
近くに立ち、身体を使って支える。 - 骨盤を軽く誘導して動きをサポートする
骨盤は“動作の司令塔”。また、一番重たい場所でもあります。一番重たい場所を介助することが介助量軽減には欠かせません。 - 押す・引くより“回す・傾ける”操作を意識する
てこの作用は回転が基本。 - 足幅と体重移動を利用する
腕ではなく「脚と体重移動」で動かすのがコツ。
今日から使える!力を使わない移乗の実践ポイント
以下は、現場で“即効果”が出るテクニックです。
① お尻を軽く前へ引き出す(2〜3cmでOK)
深く座っていて立てない方は非常に多いです。
浅く座るだけで
- 重心が前に行きやすい
- 前傾が取りやすい
- 立ち上がりが軽くなる
という効果があります。

② 前傾をしっかりつくる
前傾が足りないと
- 足が使えない
- 重心が動かない
- 介助者が引き上げる形になる
といった、悪循環になります。
③ 膝ロックは“押す”のではなく“支える”
強く押す必要はありません。
軽く支えるだけで、膝折れは防げます。
むしろ強い圧は痛みの原因になります。
あくまで「固定する」というイメージ。
④ ベッドや椅子の高さを最適に調整する
高さが合わないと動作は一気に難しくなります。
最適な高さの目安
- ご利用者様の膝が 90〜100度 になる高さ(90度よりも少し曲がっている角度が目安)
- 足裏がしっかり床につく高さ
これだけで成功率が大幅アップし、「楽」に介助できます。
⑤ 車椅子への移乗は“角度”が重要
理想は 30度の角度。
真正面ではなく斜めに寄せると、より短い距離で安全に移乗できます。
車椅子の位置についてはこちらの記事で詳しく解説しています。あわせて読んでみてください。
⑥ 移乗の準備は“介助前”に終わらせる
- クッションのずれ
- 座面の角度
- 車椅子の位置
- フットサポートやアームサポート
- 周囲の障害物
- ベッドの高さ
これらが整っていないと、動作中に危険が増えます。
まずは、介助前の環境設定が一番大切なことです。

力任せになりやすいNG行動
以下は、介助者が腰を痛めやすい“典型的な危険動作”です。どれも現場で非常によく見られますが、共通しているのは 「重心を整える前に動かそうとしている」こと。その結果、ご利用者様の不安や転倒リスクが高まり、介助者の腰にも大きな負担がかかります。
脇の下を抱えて引き上げる
もっとも多い誤りのひとつです。
脇の下を持つと、介助者はどうしても腕と腰で“引き上げる”形になります。
- ご利用者様の肩関節に強い負担
- 皮膚損傷(スキンテア)のリスク
- 介助者の腰部への過度な負荷
など多くのリスクが重なるため、絶対に避けるべき方法です。
一見すると同じようにも見えますが、正しくは脇ではなく肩甲骨です。
腕の力で持ち上げようとする
重心が後ろにあるまま持ち上げようとすると、どれだけ筋力があっても立ち上がりません。
そのため介助者は無意識に腕力で引っ張り上げてしまい、
- 腰が丸くなる
- 肩や肘に力を入れすぎる
- ご利用者様の身体を無理に動かす
といった“負担が集中する介助”になります。
足が床についていないまま介助を始める
深く座ったまま足が浮いている状態では、重心が後ろのまま不安定になります。また、小柄な方の場合はなおさら足が床につきにくいです。
この状態で立ち上がることは危険です。介助者は必ず“無理な力”を使うことになります。
足底接地は、移乗の準備として最も重要なポイントのひとつです。
ベッドや椅子の高さを調整しない
高さが合っていないまま介助すると、介助者が前かがみになり腰に大きな負担がかかります。
また、ご利用者様の立ち上がり軌道も不自然になり、うまく重心が前に移動しません。
高さの調整は「介助者の腰を守るための基本」であり、「ご利用者様が安全に動けるための準備」でもあります。
なぜこれらは危険なのか?
これらの動作に共通しているのは、
「重心」「姿勢」「動作の順番」 を整えないまま動かそうとしていること。
準備が整っていない状態で介助を始めると、
- 介助者の腰痛リスクが跳ね上がる
- ご利用者様の不安や抵抗が増える
- 転倒や滑落などの重大事故につながる
など、現場のトラブルを引き起こす要因になります。
まとめ
移乗介助は“力”ではなく“原則”で決まる
移乗介助は、決して腕力や気合で行う作業ではありません。
むしろ、力を入れるほど介助者の腰への負担は増え、ご利用者様も不安定になり、事故リスクが高まります。
大切なのは、この記事で解説した 3つの基本原則 を理解し、正しい順番で動作を組み立てることです。
1. 重心の準備(姿勢づくり)
浅く座る・足をしっかり床につける・前へ重心を乗せやすくする。
この準備だけで、立ち上がり動作の半分以上が決まります。
2. 重心移動(持ち上げずに動かす)
持ち上げようとせず、前方向への重心移動をサポートするだけで、ご利用者様自身の力が自然に働きます。
3. てこの原理(介助者の身体の使い方)
腕や腰の力ではなく、足幅・重心移動・身体の向きを使うことで、最小の力で安全に支えられます。
この3原則を守るとどう変わる?
- 介助者の腰痛リスクが大幅に減る
- ご利用者様が安楽に動け、恐怖心が減る
- 事故リスクが低下し、介助の安全性が向上
- 現場での移乗がスムーズになり、負担が軽減
移乗は、“力”よりも“理解”と“準備”が重要です。
あなたの身体を守ることは、
そのままご利用者様の安心と安全を守ることに直結します。
今日からぜひ、この「力を使わない移乗介助」の原則を、日々のケアに取り入れてみてください。
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